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時は,過去,現在,未来へとずーと繋がっている。時の変化は,何気なく過ぎ去っていく。時は確実に流れている!
10月20日(木)3日目。カーテンを開けて,ホテルから外を眺めた。木々が近くまで迫り,勢いよく川が流れているのが見えた。今朝の朝食は,昨夜と同じく郷土料理。家では,朝食はいつもパン食なので,ご飯に味噌汁と素朴な味わいがして美味しかった。
ホテルからの眺望1 朝食
食後,ホテルの周辺を眺めると,滝のようなものが見え,一部紅葉が綺麗に色づいていた。
ホテルからの眺望2 ホテルからの眺望3
遠くに,焼岳が朝日に照らされて聳えていた。
焼岳
この日は,上高地,飛騨高山,白川郷と欲張りな観光なので,7:45専用バスで,早めに出発した。
まずは,穂高連峰が美しい上高地へ向かった。
上高地地図
上高地散策で,大正池から自然研究道を徒歩約3.5km。殆どの人が,バスから降りて,河童橋まで歩いた。私は,風邪を引いていたので,帝国ホテルの近くのバス停で下車し,徒歩1.2kmを同じく河童橋をめざした。
上高地帝国ホテル
黄葉の美しいカラマツ林の間の道をひたすら歩き,途中,1962年に建てられた「山に祈る」」の石碑の前を通った。山の詩人尾崎喜八による北アルプスに散った登山者に対する優しい思いが歌われた詩が書かれている。中日新聞上高地支局の庭には,上高地の主と呼ばれた内野常次郎の墓がある。「真実の人生に生きた内野常次郎君ここに眠る
槇 有恒」。槇 有恒は1921年にアイガー東山綾の初登攀に成功した。ヨーロッパ旅行の際,ユングフラウに行った時,山小屋があった。
山に祈る塔 内野常次郎の墓
東京医大診療所の前を通り,梓川の側の道に出た。
東京医大診療所 梓川
暫くすると,奥穂高連峰が眼前に見えてきた。中央が奥穂高,右が明神岳。やっぱり凄い!
奥穂高・明神岳
さらに進むと,河童橋が見えてきた.近くに,上高地の石碑が立っていた。
河童橋 上高地石碑
河童橋は,上高地のシンボル。1910年それまでのはね橋から,つり橋に架け替えられた。当時のつり橋は欄干が無く,基礎は丸太で固定しただけのものだった。現在の河童橋は,1997年に架け替えられた。日本を代表する文豪,芥川龍之介は,1927年上高地と河童橋を舞台とした小説「河童」を発表し,河童橋の名が広く知られるようになったそうだ。
河童橋1 河童橋の説明板
河童橋から見た穂高連峰,雄大で素晴らしい。
河童橋から見た穂高連峰 
上高地ビジターセンターにも入って見た。山岳地帯の動物,植物などの展示がされていた。少し寒かったので河童橋の袂の土産物店で温かい缶珈琲を飲んだ。
上高地ビジターセンター お店
大正池から河童橋まで歩いた人たちが到着した。近くのバスセンターで落ち合う事になっていた。私たちは見れなかったが,大正池から歩いた人たちは,「ウエストン碑」があったと言っていた。英国人宣教師ウォルター・ウェストンのレリーフ(石碑)で,登山家として日本各地の名峰を制覇し,上高地にも訪れて山案内人・上條嘉門次とともに北アルプスに挑んだ。そして上高地の魅力を1896年,著書『日本アルプスの登山と探検』で世界に称賛している。「楽しみとしての登山」を日本に浸透させた功労者として,日本山岳会は氏の栄誉を称えて1937年に梓川沿いの広場にレリーフを掲げ,その10年後の1947)年よりウェストン祭も開催しているそうだ。
ウエストン碑
専用バスに乗って,11:35飛騨高山に到着した。途中,鍛冶橋の欄干に,面白いオブジェがあった。「手長像」,「足長像」は,嘉永元年に,名工,谷口与鹿が,出雲神話の登場人物・足名稚と手名稚をモデルとして彫刻した。2つの像は,夫婦で手長像は母,足長像は父だそうだ。
手長像 足長像
こちらで,昼食を食べた。その後,近くを自由散策した。青雲 若き日の山岡鉄舟」と題された山岡鉄舟の銅像があった。山岡鉄舟(小野鉄太郎)は第21代飛騨郡代を務めた小野朝右衛門の子で,朝右衛門が飛騨郡代に任じられた弘化2年(1845年)から嘉永5年(1852年)までの7年間,10歳から17歳までの多感な時期を飛騨高山で過ごした。
昼食 山岡鉄舟の「青雲の像」
高山陣屋跡。幕府の直轄地である飛騨高山の陣屋として177年間25代の代官・郡代が政務を行ったところ。元々,高山城主金森氏の下屋敷だったものを金森氏の移封後,陣屋にしたもので,御役所,御用場,大広間,役宅,吟味所,白州などが現存する唯一の郡代所。第21代小野朝右衛門は山岡鉄舟の実父で,山岡鉄舟(小野鉄太郎)は少年期をこの屋敷で過ごした。 
高山陣屋 高山陣屋の中
日枝神社,中橋
日枝神社 中橋
中橋を通って,上三之町町並保存区域を通った。味噌屋
上三之町町並保存区域 味噌屋
飛騨牛握り寿司屋は人気で長い列ができていた。和製のからくり人形,動作や表情が面白い。随分昔に訪れたことを思い出した。
飛騨牛握り寿司 からくり人形
藤井美術民芸館,高山在住の医師,藤井氏が収集した古美術品と古民芸品のコレクション約2500点を 江戸萬流総檜造りの土蔵に展示されているが,余り時間が無かったので入らなかった。街並み保存の通りをチョッと見て通過した。
藤井美術民芸館 町並保存区域
龍神台,龍神台全景。春の高山祭の屋台,龍神台の見所は,龍神のからくり奉納。唐子が壷を持って登場し,機関樋先端にある台に上に壷を置くと,中から壷の倍以上の大きさがある赤ら顔の龍神が紙吹雪を撒きながら飛び出し怒り踊るとのこと。一度観てみたいな。
龍神台 龍神台全景
再び,専用バスに乗って,14:25飛騨白川郷に到着した。白川郷は,1995年「人類の歴史上重要な時代を例証するある形式の建造物,建築物群技術の集積,,または,景観の顕著な例」として世界遺産に登録された。
白川郷の地図
白川郷の地図
白川郷の代表的建造物である合掌作りが,いつ始められたのかは定かでない。江戸時代中期にあたる17世紀末に原型ができたと推測されている。屋根の急勾配は,豪雪による雪下ろしの作業軽減や多雨地帯でもあることによる水はけを考慮したものと考えられている。合掌造り家屋の中で,家内工業として和紙漉き,塩硝作り,養蚕が行なわれていたが,明治時代以降も継続され,家屋の大型化にも大きく影響したのは養蚕業だった。囲炉裏で火を燃やし,その暖気が,上の蚕棚に行くようにしてあった。合掌造りは保全のために,大規模な補修や屋根の葺き替えを30年~40年に1度行う必要がある。これには多くの人手と時間を要し,住民総出で行われていた。
合掌造り1 合掌造り2
明善寺鐘楼門・山門の前を通り過ぎると,明善寺の庫裏があった。真宗大谷派の寺院で本堂,庫裏,鐘楼と合掌造りのままなのは他に類を見ない。庫裏は,白川郷で一番大きな茅葺の建造物。見学もできるそうだ。
明善寺鐘楼門 明善寺庫裏1
溝には,大きなニジマスが泳いでいた。粉ひきの小屋が今も動いている。
虹鱒 粉ひき所
その他,こんな建造物もあった。(和田家住宅の一連のものかな)
建造物1 祠
合掌造りの建造物は,江戸時代に塩硝の取引で栄えた名主の家で、国の重要文化財に指定されている和田家が代表的で,明善寺を建てた庫裏とよく似た間取りになっている。
和田家住宅
大きなお土産屋で,「さるぼぼ」のストラップを買った。「さるぼぼ」は,猿の赤ちゃんという意味で,色んな説があるが,「災いが去る」などと言われ,安全の祈願をするとか,子宝を望む夫婦が子宝祈願として購入するなど色々。
お土産屋 さるぼぼ
地図の下側で庄川にかかっている出会い橋。すごく沢山の人だった。この日はすごく暑くて,近くでソフトクリームを買って食べた。
出会い橋
その後,専用バスで金沢駅へ行き,17:33発のサンダーバード40号に乗った。車中で注文しておいた弁当を食べた。やはり,前田利家「加賀藩」らしい雰囲気の弁当で美味しかった。
夕食
姉は,京都で下車し,私は,のぞみ57号で広島駅まで。広島駅到着は22:04で,呉線は22:09だったので,皆と早々に別れて電車にぎりぎりで乗った。帰宅したのは,11:00過ぎ,思いの外,早く帰れて良かった。旅行は良かったが,やはり家が落ちつける。疲れていたので,早々に就寝した。やっと3日間の「立山黒部アルペンルートと上高地散策3日間」の旅も終わった。
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【2016/10/31 22:16】 | 旅行
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yasumama
上高地の散策 雪解け道のようなぬかるみを歩け 歩け 訳もわからず ひたすら歩きました。
穂高連峰?ですか 何か 山々が神々しくそびえてたのは 覚えてますが やっとこさ ??橋まで着けば またそこから 河童橋までが遠く これって何さ・・てな感じでした・・学習をしてないと 全然 感激がありません。v-237
そして そして 帰りは上高地バスセンター集合だったのですがOさんのご主人が写真を撮るのに少し遅れてこられ・・・・・でした。
懐かしい 想いでです。v-410
赤い橋は”中橋”ていうのですか。何度かここらあたりは行ったから懐かしいです。
確か この街並みでOさんと人力車に乗りました。ちょっと 高い目線でながめるのも 恥ずかしくもあり面白くもありました。v-119
白川郷・ずっと 運十年前はひなびて素晴らしく思いましたが だんだん 観光化されれば またちがってきますよね。
でも、人さまに昔の儘の暮らしを望んでは いけないなと 反省は致しますが・・。
とにかく お風邪を召してはいらっしゃいましたが 無事 楽しい旅をおすごしで 何よりでした。v-221

yasumamaさんへ
K.N
v-281上高地は,40年余り前に行ったことがありますが,かなり,観光地化していました。外国人の観光客が多かったです。大正池から河童橋までの散策でしたが,ツアーは忙しいスケジュールなので,ゆっくり歩きたかったです。穂高連峰,明神岳に朝日がさして,すごく神々しかったです。あんな高い山に登る人もいるのかと,写真に撮りました。やはり集合は,バスセンターだったのですか。v-212写真を撮る人は,ゆっくりアングルを決めて撮りたいでしょうから。トイレは,チップ制になっていましたよ。飛騨の高山は,近くのお土産店で昼食,その後,辺りを散策しました。こちらの町並み保存地区も昔とかなり趣が変わっていました。人力車は見当たらないようでしたが・・・。一度乗ってみたいものです。
白川郷も人が多かったです。お天気が良くて暑くて半そでの人もいました。v-356こちらは,雪が積もって灯がついている景色が良いですね。この時期は,何となくムードがありませんでした。v-100風邪は治ったのですが,中耳炎になっていて,yasumamaさん宅の近くの耳鼻科に通いました。軟弱な私ですから・・・。明日は,モンゴル国立馬頭琴の公演ですね。月日が経つのが早いですね。

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