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時は,過去,現在,未来へとずーと繋がっている。時の変化は,何気なく過ぎ去っていく。時は確実に流れている!
11月13日(金)前晩から,13日は何処へ行こうかと決めかねていたが,兄が世界遺産に登録された富岡製糸場が良いだろうといって,車で行くことになった。関越自動車道を走り,1時間半位で群馬県の富岡に到着。weekdayなので,駐車場に停められた。富岡製糸場はそこから歩いて5分位だった。富岡製糸場の入場料は1,000円だった。
チケット
200円で音声ガイドが付くということで,ガイドの方について廻った。パンフレットにも場内の地図などが載っていた。
富岡製糸場案内図
入口を入ったすぐの所に,横に長い「東置繭倉庫」があった。1Fは事務所・作業所として使い,2Fに乾燥させた繭を貯蔵。入口のアーチの所に「明治5年」と彫られていた。木で骨組みを造り,柱の間に煉瓦を積み上げて壁を造る「木骨煉瓦造」で,煉瓦は日本の瓦職人が作ったそうだ。
東置繭所入口 東置繭倉庫入口
検査人館」は,生糸の検査を担当したフランス人男性技術者の住居で,2Fは皇族や政府の役人が訪れた際に使用された貴賓室があり,大理石のマントルピースはほぼ当時の状態で残されている。
検査人館
女工館」は,日本人工女に,器械による糸取りの技術を教える為に雇われたフランス人女性教師の住居で,ベランダの天井には板が格子状に組まれ,当時の日本建築にはない特徴が見られる。
女工館
繰糸所」は,繭から生糸を取る作業が行われていた場所。採光のための多くのガラス窓や屋根の上に蒸気抜きの越屋根が取り付けられていた。内部も見学出来た。動力用蒸気エンジン,ガラス,鉄製の窓枠などはフランスから輸入。
繰糸所入口 繰糸所1
創業当初はフランス式の繰糸器300釜が設置され,世界最大規模の製糸工場だった。現在は,昭和40年代以降に設置された自動繰糸機が保存されている。
仏式糸繰機を使った繰糸作業 繰糸所内機械
内部の天井の小屋組には,「トランス構造」という建築工法が用いられている。建物内部は,中央に柱の無い広い空間なので,天井が落ちないように保つ為だそうだ。
繰糸所内小屋組
診療所」は,官営時代には治療費・薬代は工場側が負担し,厚生面が充実していた。現在の建物は3代目。
診療所
ブリュナ館(首長館)」を見学した。指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居で,政府との契約満了の明治8年まで使われた。後に,寄宿舎や工女に読み書きや裁縫などを教える夜学校として利用された。企業内教育の先駆け。建物は木骨煉瓦造で高床式で回廊風のベランダを持つ風通しの良い開放感ある造りになっている。床下には煉瓦造りの地下室もあり,食料品貯蔵庫に使われたようだ。
ブリュナ館 ブリュナ館の裏
寄宿舎」は,昭和15年に建設。創業当初から数えて3代目。木造2F建ての長大な建物が2棟並んでいる。官営期の工女たちの労働時間は1日平均7時間45分で,日曜日は休み,給料は繰糸技術の等級により格付けされた月給制。宿舎や病院が場内にあり,食費や医療費は国が負担するなど,当時の日本では極めて進歩的な労働環境だったそうだ。
寄宿舎
そこまでで,ガイドが終わり,各自自由に見学した。東置繭倉庫の入口から入り,右側には,資料展示や紹介ビデオを鑑賞するようになっていた。フランス式の煉瓦の組み方,開業期に関わった人々,富岡製糸場の模型,活躍した工女たち,官営廃止の流れ,片倉時代などパネル展示がされていた。世界遺産の登録証書など
フランス式煉瓦積み 世界文化遺産登録認定証
構成資産関係図によると・・・。このような繋がりになっていた。「荒船風穴」は,下仁田町にあり,夏場に繭を保管した所。
構成資産関係図
東置繭倉庫の反対側には,製糸に必要な古い器具や器械などが展示されていた。
揚返器 上州座繰り器
お土産の売店もあったので,お菓子や繭石鹸を買った。製糸場の外でも,各所で繭石鹸を泡立てて置いてあった。その後,「西置繭倉庫」(修理・改築中)や「社宅群」などを見てまわった。
西置繭所 社宅群
明治初期の日本は,明治維新を迎えたばかりで,殖産興業政策を掲げた政府が急務としたのは,輸出品の要であった生糸の品質改良と大量生産を可能とする器械製糸工場の導入と推進だった。設立指導者のポール・ブリュナや製図工のオーギュスト・パスティアンなど,当初は10名位のフランス人を雇い入れ,器械製糸技術の指導が行われた。技術伝習工女として15歳~25歳の若い女性が募集され,技術習得後はそれぞれの地元で指導者として活躍した。フランス人が飲むワインを血だと思いこんで,当初は,工女募集に,「生き血を吸い取られる」と言って,工女がなかなか集まらなかったそうだ。官営から明治26年には,民間に払い下げられ,昭和62年に操業停止まで115年間生糸が生産された。
 富岡製糸場の見学を終え,駐車場の近くで,珍しいうどんを食べた。寒かったので,すごく美味しかった。右下の写真は,繭の石鹸の泡。兄は,世界遺産登録される以前から4回程訪れたそうだが,当初はすごく寂れた感じだったそうだ。現在は,富岡製糸場の中は勿論,周辺にも色んな店が出来て賑わっていた。近場の道の駅などを見て,帰路についたが,途中,少林山だるま寺に立ち寄った。
切り抜きうどん 繭石鹸
こちらは,長くなるので次回投稿する。
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【2015/11/29 10:54】 | 旅行
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yasumama
ただいま~~v-238
丸ビルの中でスケートリンク 先日 TVで放映してて ああ ここなんだなって 思いました。v-221
製糸工場 花燃ゆでもあり 世界遺産に登録されたりして 人々の関心があつまりますね。 女工哀史等でみたのとは 違うのですね。まあ、そう言う所もあったのでしょうが 昭和62年っていえば 私にとったは身近にかんじますが もう28年位経ってるのですね~。v-356
厚生面でも充実してたのですね~。今より???いいの??かも って 思ってしまいます。v-355富岡製糸場、よく 知ってる所ではありますが なかなか 行けない場所でもあります。兄上様の案内で これも又 良い事 なさいましたね。v-218
修復しながらの保存でしょうが すごく 綺麗に現存しているから 不思議な気がいたします。v-354
北京の大気汚染って すごいですね~。今 テレビでみてました。

yasumamaさんへ
K.N
v-100早く終わって安心されましたね。今日は,Yタウンに買い物に行きましたが,こちらで入院されているけど,どうかしらと案じていました。丸ビルの小さなスケートリンク,見られましたか。オープニグの夜でしたが,なかなかセレモニーが始まらなくて・・・。v-353羽生選手のレプリカが造ってあって,白い布が被せてありました。富岡製糸場は世界遺産だけあって,歴史の重みを感じました。明治政府は,最初,軽工業に力を入れ,その後,重工業に転換しました。v-388長い鎖国から目覚め,海外の先進的技術を導入するのに必死だった時代です。兄の車は私と同車種なので,帰省の時は,車を貸してあげてます。歴史に詳しいので,色々説明してくれました。蚕の形をしたマシュマロを売ってましたよ。ホント,中国の大気汚染は,酷いですね。それが偏西風でこちらへやってくるのですから・・・。v-404

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