FC2ブログ
時は,過去,現在,未来へとずーと繋がっている。時の変化は,何気なく過ぎ去っていく。時は確実に流れている!
8月26日(水)『ユトリロとヴァラドン-母と子の物語-ースュザンヌ・ヴァラドン生誕150年 展』,是非見に行きたいなと思っていたら,チケットを戴いたのでひろしま美術館へ出かけた。会期は7月11日(土)~8月30日(日)ということで,期限が迫っているので,何はさておき,いつものクレアライン(高速バス)に乗って広島まで出かけた。ひろしま美術館は,そごう広島店の北隣りなので,すごく便利だ。
ひろしま美術館 入口
今回の展覧会は,ルノワールやロートレックのモデルを務め,画家であったスュザンヌ・ヴァラドンと,その母への複雑な思いから絵を描き始めたモーリス・ユトリロの母子2人展だった。母子とも芸術の道を選び,パリの北に位置する近代化から取り残されたモンマルトルに住んでいたが,当時のモンマルトルは農園と歓楽街が隣接し,各国の個性的な画家たちが集い昼夜を問わず,芸術の議論や論争に明け暮れていた場所だった。そんなモンマルトルの哀愁漂う街並みを描き続けたユトリロと,母であり,力強い線描と色彩を操る画家のヴァラドン。作品はそれぞれ40点ずつ展示されていた。ヴァラドンは,サーカスの曲芸師をしていたが怪我で退団。その後,針子をしながら,画家として活躍していた。18歳で,私生児ユトリロを出産。ユトリロは,祖母に預けられて育ったので,祖母に体を洗って貰っているヴァラドンのデッサンがあった。ヴァラドンは,恋多き女性で力強い人物像を得意とし,デッサン力も評価されていた。画家ドガはそのデッサン力の高さに驚き,彼女を「恐るべきマリア」と呼んだ。男性画家にひけをとらない才能と制作への意欲を見せるヴァラドンは,男性社会の中で肩を並べて作品を制作した。20世紀初頭,女性が裸婦を描く事はタブーとされていたがヴァラドンは裸婦像も描いている。
まず,母親である★ヴァラドンの作品から紹介する。「コルト通り12番地,モンマルトル」,「モーリス・ユトリロの肖像」
スュザンヌ・ヴァラドン「コルト通り12番地,モンマルトル」 スュザンヌ・ヴァラドン「モーリス・ユトリロの肖像」
「窓辺のジェルメーヌ・ユッテル」,「自画像」
スュザンヌ・ヴァラドン「窓辺のジェルメーヌ・ユッテル」 スュザンヌ・ヴァラドン「自画像」
「野兎と雉と林檎のある静物」,「花」
スュザンヌ・ヴァラドン「野兎と雉と林檎のある静物」 スュザンヌ・ヴァラドン「花」
「リュシー・ユトリロ・ヴァロールの肖像」,「花瓶の中のリラの花束」
スュザンヌ・ヴァラドン「リュシー・ユトリロ・ヴァロールの肖像」 スュザンヌ・ヴァラドン「花瓶の中のリラの花束」
作品に見られる力強さは,ヴァラドン自身の力強さを表している。芸術論争においても,その力強さは発揮され,21歳年下の夫ユッテルを辟易させる程だった。また,作品から滲み出る迫力は,優れたデッサン力が生み出した魅力的な線と色の用い方は,情熱的で生命力溢れるヴァラドンの人間性そのものである。
★モーリス・ユトリロの作品モーリス・ユトリロは,若く奔放な母親に顧みられず,祖母に預けられて育つが,葡萄酒の味を覚え,10代からアルコール中毒になって,20歳の時療養院に入れられた。精神安定の治療の一環として,ユトリロに絵を描かせることにした。瞬く間に才能を開花させた。当時のモンマニーなどの風景画やモンマルトルの街並みを白く描いた「白の時代」と言われる代表作の風景画群が有名。その後の硬く乾いた黒い輪郭線で絵画を構成した「色彩の時代」の作品も展示されていた。
「モンマルトルのサン=ピエール広場から眺めたパリ」,「サン=ピエール教会とサクレ=クール寺院,モンマルトル」
モーリス・ユトリロ「モンマルトルのサン=ピエール広場から眺めたパリ」 モーリス・ユトリロ「サン=ピエール教会とサクレ=クール寺院,モンマルトル」
「小さな聖体拝授者,トルシ―=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)」,「モンマルトルのキャバレー・ラパン・アジル」
モーリス・ユトリロ「小さな聖体拝授者,トルシ―=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)」 モーリス・ユトリロ「モンマルトルのキャバレー・ラパン・アジル」
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット,モンマルトル」,「青い花瓶の中の花束」
モーリス・ユトリロ「ムーラン・ド・ラ・ギャレット,モンマルトル」 モーリス・ユトリロ「青い花瓶の中の花束」
「すずらんの花束」,「ノルヴァン通り,モンマルトル」
モーリス・ユトリロ「すずらんの花束」 モーリス・ユトリロ「ノルヴァン通り,モンマルトル」
「コルト通り,モンマルトル」,「サン=リュスティック通り,モンマルトル」
モーリス・ユトリロ「コルト通り,モンマルトル」 モーリス・ユトリロ「サン=リュスティック通り,モンマルトル」
ユトリロの作品は,母と異なり,殆どが風景画で,ヴァラドンが実物を見ないと描けなかったのに対して,ユトリロは絵葉書をもとに制作していた。抜群の記憶力だったユトリロは絵葉書をもとにしながら自身が覚えた街の雰囲気をより抒情的に描きだした。晩年は,レジオン・ドヌール勲章を授与され,画家としての栄光を手に入れるが,療養院の入退院を繰り返し,監視付きの生活を送らざるを得なかった。生前,絵を沢山描き,社会的に評価されたが,幸せな人生ではなかったようだ。
特別展を見た後は,いつも見ている常設展を一渡り鑑賞した。そちらにもヴァラドンの絵が2・3点展示されていた。お昼近くなったので,美術館の中のお店で昼食を食べた。そのお店には,フランスの伝統菓子「ポン=ヌフ」の特別メニューもあったが,食べなかった。「ポン=ヌフ」はパリに現存する最古の橋でセーヌ河の右岸と左岸を結ぶパリで最初の石橋。印象派のを始め,多くの画家が絵に描いている。
昼食 フランス伝統菓子「ポン=ヌフ」
ひろしま美術館の庭には,1978年美術館の開館を祝して,ピカソの子息クロード・ピカソから送られたマロニエの木が大きくなっていた。マロニエは,ピンクの房状の可愛い花が咲く。そう言えば,平和公園の100m道路の側にもマロニエの木があり,花が咲いているのを見た事がある。日本では,マロニエは栃の木と言われており,渋抜きをして粉にして餅米に混ぜて餅にするなど食用にされる。
パリから贈られたマロニエの樹 マロニエの花
暑かった8月の終わりのゆったりとした1日だった。帰りもクレアライン(高速バス)で帰った。
スポンサーサイト




【2015/08/29 15:27】 | 芸術鑑賞
トラックバック(0) |


yasumama
作者の人となりを知ると一層作品にも面白みというか興味というか親近感がわきますね~。
こういう見かたって いけないのかしら。
あの日 ここのひろしま美術館があるな~~~って なぜか 思いました。
まさか 来館してらっしゃったなんて 思いもしませんでした。
こんなに不遇な一生?の中に絵を描き情熱をそそいだのですか。
v-55で何度も紹介してたから 心には残っていましたけど・・・ほんの近くなのに美術館に足が向かない我々です。クレドからは すぐでしょ。v-356ちょこっと Sデパートを覗いたりしてたら 時間はあっという間に過ぎてしまいました。いつも精力的に活動なさり 素晴らしいです。v-218
今日は途中から 失礼いたしました。孫娘の車を引き取りに来て練習中だったそうで 急でしたからびっくりしました。まだお父さんに教わらないとなんて 昔娘に主人がくっついて練習させたのが昨日のように思えました。今日も太極拳 集中して 心が和みました。v-238又 来週 よろしくv-221

yasumama さんへ
K.N
v-331その画家がどんな人生を送ったか,絵と密接な関係があります。絵は人生そのものではないでしょうか。この日,金魚アクアリウムに行かれたのですね。お嬢さんとご一緒ですごく良かったですね。私は,この日は15:30までに帰らなくてはいけないので,他へは寄らないでひろしま美術館だけに行きました。ユトリロは不遇な人生を送りましたが,その中で他の人には描けないモンマルトルの風景画を描いています。母のヴァラドンも自分の人生を一生懸命生きられたのでしょうね。興味深い特別展ですごく感動しました。v-354昨日は,ご長男夫婦,お孫さんにも会えてよかったです。素敵なお孫さんですね。v-448私も,息子2人は,仮免や初心者の時,助手席に乗って,練習させました。ヒヤヒヤして,こちらが緊張しました。v-356

コメントを閉じる▲