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時は,過去,現在,未来へとずーと繋がっている。時の変化は,何気なく過ぎ去っていく。時は確実に流れている!
10月20日(土)海外旅行から帰国。関空着が遅かったので,滋賀県の姉の家に泊まる事にした。久し振りに義兄と姉と3人で夕食を食べた。翌日21日(日),姉が車で30分位走った所の安土城跡に連れて行ってくれた。安土城は,織田信長の居城で,安土山に1576年に築城を開始し,1579年に信長が入城した。外観5層内部7階(地上6階地下1階)の華麗な天主をもっていたとされる城は,本能寺の変の数日後,完成からわずか3年で焼失。今は石垣が残るのみだが,1989年から20年間で発掘調査環境整備が行われた。登り口から天主跡までは徒歩約30分との事。
 JR安土駅の北東、標高199mの安土山一帯にある織田信長(1534-82)の居城跡。国指定の特別史跡最初に,安土城を象徴する「大手道」の説明板があった。正面玄関である大手門から山頂部に築かれた天主・本丸に至る城内では最も重要な道だそうだ。約180mにわたって直線的に伸びる部分の道幅は,約9m。両側には幅1~1.2mの石敷きの側溝があった。
大手道上り  大手道1
道の東西には,複数の郭を雛段状に配した伝羽柴秀吉屋敷跡,伝前田利家邸跡などがあり,書院造りの主殿を中心に多くの建物で構成されていたそうだ。安土城の正面玄関にふさわしい屋敷地だった。
伝羽柴邸跡  伝羽柴秀吉邸復元図
伝羽柴邸櫓門跡  伝羽柴秀吉邸主殿
伝前田利家邸跡  伝前田利家邸地図
大手道の階段を登って行く途中,石段の何箇所かの石に仏像が彫られている所があり,賽銭が置かれていた。
石仏1
大手道を上がると,石の標識の所に出てきた。「天主,本丸跡に至る」と書かれていた。分かれ道になっていて,左に行くと,「三重の塔・元総見寺跡,仁王門を経て大手道入口に至る」とあった。そこで右に行くと,黒金門という所に来た。黒金門は,安土城中枢部への主要な入口の一つで,天主とともに本能寺の変の直後に火災に遭っており,多量の焼けた瓦の中から,菊紋,桐紋などの金箔かわらが出てきたそうだ。当時の壮大な城の姿が偲ばれる。
分かれ道  
黒金門  黒金門跡
その先には,仏足石があった。これは,築城の際に集められた石材で,石垣に使われていたのではと書かれていた。お釈迦様の足跡を表現したもので,古代インドでは仏像に先立ち崇拝の対象にされてきたそうだ。中世の数少ない遺物として大変貴重なものだそうだ。
仏足石  仏足石1
二の丸跡の左には,信長廟があるが行かずに本丸の方へ行った。途中に,大きな石碑が建っていた。「護国駄都墖」と書かれていたが,どういう意味かな?
護国駄都墖
本丸跡  本丸遺構平面図
本丸からさらに上がり,天主跡に行った。安土城は,高くそびえる天主を中心に本丸・二の丸・三の丸などの主要な郭で構成されていたそうだ。天主の辺りの標高は180mを超えるそうだ。眺めも良くて,西の湖が見えた。琵琶湖も見えるそうだ。
天主台跡  西の湖
この地図にあるように,入口から天主まで急な階段の大手道を上がった。帰りは,来た道を下ったが,汗びっしょりになった。因みに,入り口の所には,階段を上がる人の為に杖が置かれていた。
地図2  大手道下り
帰り路の所に織田信長の展示館があるようだったが,時間が無いのでパスして,姉の家に帰り,昼食を頂いて帰路に着いた。長い間旅行していたので,すごく疲れていた。やっぱり,我が家は落ち着くね。
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【2012/10/31 16:59】 | 旅行
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まあ、まあ 流石 お元気!、
yasumama
永~い旅の後 お疲れ知らずですね~。K・Nさんの辞書には たいぎ~・億劫とかゆう 言葉は ないのですね。v-344意欲的で少しの時間でも有意義にって事ですね。信長さんも思いもしない亡くなり方だったでしょうに無念ですよね。でも明智光秀の恨み?物語しか 知りませんが。あの広大なお城、お殿様は すべて 熟知してたのか、それに 細い急な階段 袴を付け天守閣にのぼれたのかしらとか 変な事ばっかり思ってしまいますわ~。秀吉邸位ならなんとかなりそう、でも主殿より他もあるのでしょうかね~。この日も1万歩以上でしょう。e-291

yasumamaさんへ
K.N
v-388姉は忙しくしても,いつも夜間は友だちと1時間ウォーキングをしています。私は本来のんびりした方ですが,一緒だとついそのペースに合わせるようになります。e-496安土城は,建物は無くて,石段・石垣ばかりですが,復元作業も進んでいるようです。近くに,資料館や信長の屋敷のテーマ館みたいのが出来ているそうです。信長が生きていたら,歴史も大きく変わっていたかも・・・。兎も角,急な石段でしたが,今回は何とか行けました。v-356石段を馬で登り降りしていたそうです。戦闘用の城でなく,栄華を極めた居住空間だったようです。v-402説明板によると,羽柴秀吉,前田利家邸は,段々になった大きな邸だったようですよ。

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