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時は,過去,現在,未来へとずーと繋がっている。時の変化は,何気なく過ぎ去っていく。時は確実に流れている!
10月25日(火)午後,生々会の幹事のN先生が来られた。彼女は,生々会のお食事会の時カメラを忘れたので,私が撮った食事会の写真とblogのプリントアウトを受け取りに来られた。彼女は,15年位「土曜会」で日本画を習われている。丁度,呉市美術館で開催されている「広島 日本画の系譜」展のチケットを2枚持っていたので,一緒に行く事にした。
呉市立美術館
「広島 日本画の系譜」展は,戦前・戦後の広島県ゆかりの日本画家19人の作品を一堂に集め展示されていた。“近代日本画は伝統的な絵画表現に,明治維新後,西洋から持ち込まれた新しい絵画技法を取り入れ,大きく変容してきた。戦後は,敗戦により西洋文化が大量に流入し,日本画の意義が改めて問われる事になり,世界に通用する日本画のあり方が模索され,様々な可能性が追求されてきた。”との事。このような中で,広島県出身の画家たちも多大な影響力を及ぼし,日展・院展においても指導的な役割を果たされてきたそうだ。
戦前に活躍された日本画家。
田中頼璋(らいしょう)(1868ー1940)「渓山鳴瀧図」。17歳で画家を志し,四条円山派に属し,後に帝室技芸員になった森寛斎について画技を磨いた。32歳のとき上京し日本画の大家・川端玉章に師事し,主に山水画を得意としトラを描いた傑作で知られる。文展が開催される以前から中央画壇で活躍し,明治40年川端学校の教授となり,同年文展が開始されると一躍旧派の代表画家として注目された。日展の前身である帝国美術院展覧会委員を務めるなど旧派の重鎮として活躍したが,関東大震災を機に広島に居を移し後進の育成に努めたそうだ。
猪原大華「若桐」。 明治30年2月17日生まれ。大正10年帝展に初入選。土田麦僊(ばくせん),西村五雲に師事。昭和26年より母校京都市立美大(現京都市立芸大)で教える。京都派の流れを汲み,花鳥花木を得意とした。47年日展で「浄池」が内閣総理大臣賞,49年「清明」で芸術院恩賜賞。広島県出身。
渓山鳴瀧図  若桐
大村廣陽(1891-1983)「南国の水辺」。広島県福山市出身。名は種五郎,別号に種臣。小学生の頃から非凡な才能を見せ,スケッチをして自己流速写法(クロッキー)を身に付けた。京美工・京都絵専卒。竹内栖鳳に師事,竹杖会に入塾した。丸山四条派の伝統を受け継ぎ,文展・帝展・日展に入選を重ね,海外日本画展の出品も多い。動物・花鳥画を得意とし,晩年は仏画を手がけた。
南国の水辺1  南国の水辺2
児玉希望(こだま きぼう)(1898-1971)「室内」,「雨後」。広島県安芸高田市高宮町出身,本名・省三。狩野派の流れを汲む川合玉堂の門に入る。帝展に出品し,1918年同審査員,文展,日展に出品。1950年日展運営会参事,日月会を結成。1953年日本芸術院賞受賞,1958年日展評議員,1959年日本芸術院会員。1961年日展常務理事。1970年勲三等旭日中綬章受章。 画塾の門下には佐藤太清,奥田元宋,船水徳雄らが在籍した。
室内  雨後
塩出英雄(1912-2001)「宝刹」,「草庵」。広島県福山市生まれ。1931年帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)日本画科に入学。奥村土牛に師事し,1937年より院展で活躍。1950年「泉庭」が日本美術院賞,1969年「春山」が内閣総理大臣賞となる。1963年母校・武蔵野美術大学教授。1984年武蔵野美術大学名誉教授就任。1985年武蔵野美術学園学園長に就任。
宝刹  草庵
森谷南人子(もりたに-なんじんし)(1889-1981)「桃花処々 山波」。竹内栖鳳(せいほう)の指導を受け,国画創作協会に参加。大正9年から広島県尾道(おのみち)に住み,帝展,新文展に出品した。岡山県出身。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)卒。本名は利喜雄。別号に梢月。作品に「秋の日」「秋郊」など。
和高節二(1898-1990)「村の子供」。1898年に向原の農家の長男として生まれ,1990年に92歳で長寿を全うするまで,農村の自然と農村に生きる人を愛し,苦労に苦労を重ね日本画家として大成し,その後も謙虚に生き抜いた。村の子供」の絵は節二の4人の子供が描かれているが,美しく,清潔で,逞しく,高尚な美を目指した節二の思いが子供たちの立ち姿に表れている。
桃花処々(山波)  村の子供
船田玉樹(1912-1991)「紅梅(利休像)」。広島県呉市生まれ。1932年広島洋画研究所に入り山路商に師事した。山路は小児麻痺のため不自由な身体をかかえた無名の画家で弟子たちにピカソや現代音楽への情熱を吹きこんだという。1940年東京でシュルレアリスム運動の指導者だった詩人・批評家瀧口修造と画家福沢一郎が国際共産主義への同調者という容疑で逮捕された時,広島では彼が逮捕されたのをみても、思想的バックボーンのある画家だったらしい。もっとも,船田はこの研究所に半年いただけで東京に出たいと言うと,山路は広島出身のシュルレアリスト画家靉光に紹介状を書き,「靉光から貧乏の仕方を習え」と忠告した。事実,靉光は当時味噌醤油だけ買って、おかずは畑から盗んだ野菜ですませており,船田が両親から受け取る仕送りの半分でも暮らせると豪語したそうだ。
谷口仙花(1908-?)「春風婦女(右隻)」。埼玉県出身だが,船田玉樹と呉で一緒に暮らし,広島県美展の審査員も務めた。女性の風俗に関心を寄せ,新しい表現を追求した。単身帰京し,再婚,渡米後の消息は不明。
紅梅(利休像)  春風婦女
丸木位里(1901-1995)「原爆の図」。広島市安佐北区で農業および太田川で船宿を営む金助・スマの子として生まれた。スマが位里を身ごもり臨月となった頃,船宿の2階の客の食膳を下げる際に階段から転落し,出生した位里の顔の右側には目立つ痣が残った。このため位里に負い目を持ったスマは,彼の生き方には干渉せず一切自由に任せ,位里はスマに対しそのことを終生感謝していたといわれる。長じて上京し田中頼璋・川端龍子に師事。日本南画院,青龍社に参加し1939年から1946年まで美術文化協会展に出品。1941年洋画家の赤松俊子(丸木俊)と結婚した。1945年8月広島に原爆が投下されると,飯室の船宿をたたみ広島市西郊の三滝に移住していた父母など実家の家族の安否を気遣った位里は,俊とともに被爆直後の広島に赴き救援活動に従事した。この体験をもとに1950年俊と協働で『,翌1967年に自宅近くに原爆の図丸木美術館を設立した。1995年朝日賞を受賞したほか妻の俊とともにノーベル平和賞候補にも選ばれた。『水俣の図』,『南京大虐殺の図』の妻との共作もある。
原爆の図第1部  原爆の図第2部
戦後に活躍された日本画家。
奥田元宋(1912-2003)「山高月小」,「「待月」。三次市吉舎町出身。日本芸術院会員。「元宋の赤」といわれる独特な赤色が特徴とされる。本作は,帝釈峡・龍神湖で夕やみ迫り,姿を現した月に照り映える紅葉が赤々と燃えている。原爆により壊滅的な被害を受けながらも,見事に復興を遂げた広島を象徴しており,写実と自らの「胸中山水」の融合をめざした作者の尽きせぬ情熱が現れている。1949年-第5回日展に『待月』が特選と白寿賞を受賞。疎開中,古里三次の光景を描いたもので,馬洗川に面した松林の向こうから,まさに月が昇る瞬間の青白い光に包まれた空気,静寂を描いている、文化勲章受章。
山高月小  待月
三上巴峡(みかみはきょう)(1913-1985)「瀬戸内の春」。広島県三次市十日市町出身。児玉希望に師事し、奥田元宋とは兄弟弟子。雅号の“巴峡”は,三つの川(馬洗川,西城川,江の川)が合流する三次の街を表わしているとのこと。文展,日展など入選,日展会友に推挙。
瀬戸内の春
平山郁夫(1930-2009)「大び波沙国桃源郷」。シルクロードのオアシス,パキスタン北部の秘境・フンザ渓谷を描いている。氷河に削られた荒々しい山肌,圧倒的な広さと強さが感じられる。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京藝術大学学長を務めた。文化勲章受章者。称号は広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民。
大び波沙国桃源郷
今回の「広島 日本画の系譜」展は,広島という風土が生んだ感性の輝き,師と弟子,同郷の繋がりを見る良い機会だそうだ。最近の郷土の日本画家は知っているが,戦前の画家については知らない人が多かったが,卓越したそれぞれの作品から脈々と続いてきた日本画の潮流を感じ取る事が出来て良かった。
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【2011/10/30 22:18】 | イベント
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日本の系譜 楽しみです
きまま
広島日本の系譜は 今週見に行くことにしています
。素晴らしい作品がたくさんあって見応えがありそうですね。楽しみです
ところで「ペアーレフェスタ」の太極拳に出演されたんですね。見たかったなぁ~

きままさんへ
K.N
v-430戦前・戦後に活躍された広島ゆかりの日本画家の作品でした。現在,活躍されている画家ではなく.物故者でした。見応えはすごくありました。中国新聞にも,何度か紹介されていたので良く分かりました。v-354今日の「ペアーレフェスタ」,久し振りの太極拳の披露でした。服装も黄色のシルクサテンの表演服を着ました。先生が,服装が良いといつもより上手に見えましたと言われました。坂本冬美の「まだ君に恋してる」の曲に合わせて気持ち良くできました。今度,機会があったら,見に来て下さい。v-402

美術の秋
とぼけ老人
いやー!>K・Nさんの太極拳、是非見学したかったですねー・・・呉美術館の広島日本画の系譜のポスターは以前からよく見ておりましたが、あまり興味がありませんでしたが、>K・Nさんの詳しいブログ掲載を拝見しているうちに、これは是非見ておかなければという気分になりました。
ところで美術館といえば昨日、(日曜日)には雨降りの中を、広島現代美術館の>>ブリキの方舟と題した作品展をみて、また講演を聞いてきました。
いやー!現代美術とは、こんなものなのかーと、また勉強にもなりました。

ますます 輝く ブログですね。
yasumama
わあ~、いかなくても行ったような気持ちになりすっかり気分は芸術家??には なれませんが 素晴らしい方々の作品が集められているのですね。私には遠い存在の世界で 聞いた事があるような??画家、絵ではありますが身近に感じます。v-217
ここまで詳しく御調べになられて まとめられて もう 只のブログではなく 何か 光輝くものを 感じさせます。v-357まだまだ お忙しい事ですね。ペアーレ祭・・・あったのかしらって 不思議な感覚です。 これからもう少し 精進して 細かい所 教わりましょう。v-341今日はよい お天気でしたねv-278夜は寒くなってきました。 

| とぼけ老人さんへ
K.N
e-343ペアーレで太極拳を習い始めて10年になります。学校が週5日制になった頃から,健康のために始めました。そのせいか,腰痛などはありません。退職してからは,努めて歩くくようにしています。健康第一ですから。音楽に合わせてすると結構楽しいです。e-309「広島 日本画の系譜」は意外と見応えがありました。広島ゆかりの画家も活躍され素晴らしい人が沢山おられたようです。「ブリキの方舟」というのは,TVでも宣伝したましたね。現代美術となると,なかなか理解しがたいものがありますが,どうでしたか。山口の著名な画家:香月泰男もブリキのおもちゃを作っていますが,面白い造形でした。

yasumama さんへ
K.N
v-402広島からも著名な画家が沢山輩出されているようです。日本画展を見ただけでは,断片的で良く分からなかったのですが,blogに整理して書くと,戦前の画家の偉業とその技法や芸術性が連綿と受け継がれてきて,今日に至っている事が理解できました。見たままだとすぐ忘れますが,大変でもまとめて書いておくと少しは記憶にとどめる事が出来ます。v-356昨夜はblogを書いていて遅くなりました。太極拳講座は,これから何をするのでしょう。少し変わったのもしてみたい感じがしますが,新しい方も加わっているので,やはり48式を深めるのかしら。v-278今週は夏が戻ったようなお天気だそうですね。11月8日が立冬で寒くなるとか・・・。

一堂に会すると見応えありそうですね。
sa-sa
日本画の流れを広島から見ていくのってどうなのかしらんと思いましたけど、こんなに沢山の方がいらっしゃるんですね。恥ずかしながら超有名な丸木位里さん、平山郁夫さんしか知りませんでした。
商店街のわたくし美術館巡りから今回のような方のまで様々な作品を実に沢山丁寧に見て回ってそのパワーたるや凄いですねe-271

sa-sa さんへ
K.N
v-432広島出身の方で日本画家として,中央画壇で活躍され,その発展に貢献された方が多いのには吃驚しました。三次には,児玉希望の弟子で奥田元宋・小由女(妻で人形作家)美術館があります。三次ワーナリーのすぐ側で素敵な美術館ですよ。辻村寿三郎人形展もあったので息子と一緒に行きました。今度帰省の時に一緒に行きましょう。v-448わたくし美術館は姑も何度か出品してました。

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