


五木寛之による「親鸞」は,現在,中国新聞に連載されているのでかなりの人が読まれている事だろう。親鸞の生きた時代は,平安末期から鎌倉初期にかけての政情不安,疫病,飢饉,地震,津波という大変な時代で,親鸞は9歳で天台座主慈円のもとで出家。その後20年間比叡山で厳しい修業をされたが,悟りも極楽往生の確証も得られず苦しんでいた。そんな時に,法然と出会い,「どんな人間でも念仏さえ唱えれば阿弥陀仏が救って下さる」という教えに導かれ,法然を師として一生尊敬し,信頼し続けた。法難により僧籍を剥奪されて,越後に流罪になり,その後関東で布教,さらに京都に戻り,90年の生涯を終えられた。
流罪になり僧籍を剥奪されて,朝廷から俗名を与えられた時の名前が木に刻まれている。その後の関東での布教の姿。それまで僧侶は妻帯しなかったが,恵信尼と一緒になり,家族を持ち,人間らしく生きる親鸞の生き方に,慕ってくる門弟も多かった。非僧非俗の生活を理想とし,自ら「愚禿釈親鸞」と名乗られた。7年後に赦免されて,関東で20年間布教。


関東では,山伏・修験者たちの親鸞の念仏布教に対する妨害が深刻だったが,山伏弁円は親鸞襲撃を試みたが果たせず,逆に親鸞の説く念仏に帰依したそうで,我が家にはその時の様子を描いた掛け軸がある。


62から63歳の頃,益々厳しくなる幕府の念仏弾圧もあり,京都へ帰られ,「教行信証」の総仕上げや数々の著作をされた。よく法事などであげられる「正信偈(しょうしんげ)は,教行信証の行巻の巻末にまとめられた七言六十句百二十行の詩だそうだ。本願念仏の教えの開顕と草の根の布教に生涯を尽され,数多くの念仏者を生み出し,後の同胞に真実の道を指南する著作を残された親鸞聖人は,1262年に入滅された。





TV放映では,広島市の廿日市市の浄土真宗の寺で作るグループが親鸞聖人750回忌を記念して,田んぼに親鸞の姿を表現して稲を植えられていた。


収穫されたお米は東日本大震災で被害にあった被災地に義援米として送る予定だそうだ。

東京の善福寺の親鸞ゆかりの銀杏の木(親鸞が地面に差した杖が芽を出し大きく育った)の枝を大根に差して持ち帰って植えたという広島の安楽寺の銀杏の木は原爆に遭ったにも関わらず,大きくなっているそうだ。


また,親鸞の生涯を「出家とその弟子」という本に書かれた庄原市出身の倉田百三記念館もTVで紹介していた。



27日は,バスで広島へ行き,先に昼食を済ませ,催し会場の「親鸞展」を見た。


会場はかなりの入場者で,26日までで3万人という大盛況だった。親鸞の生きた時代とかなり共通点がある現在,将来への明るい展望がなかなか見いだせず,みんな救いを求めているのだろうか。

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いろいろ思えば/・・・(;一_一)
yasumama 私は今一、信心深いとはいえない・・のですが 主人の事があって 少し変わりました、といっても やはり ダメです。子供のころは当たり前のようにお念仏の近くにいたような気持ちがするのですが 生活が変わり 毎日アクセク 過ごしてる内に感謝の心を忘れ信心の心を失ってました。
流罪にされて 7年、 一口に7年といいますが並大抵の事では無かったでしょうに。
自分をしっかり持って 90歳を 全うされたと・・なんだか 夢のような気さえ致します。小さな時からいろんな目に会われて 御苦労されたと新聞の小説で。下人??犬まるとさよさんでしたかね~おふたりの愛だけがその頃の救いだったのでしょうか。ため息がでます。 
yasumamaさんへ
K.N
法事などでお経を聞く時,足がしびれたり,お茶を出すタイミングなどを考え,いつも良い加減に聞いてますが,奥深い意味が込められている事を考え,少しは信心深くなるべきですね。親鸞聖人は,並々ならぬ苦労をされて,極楽往生の悟りの境地に至られたのですね。その当時は末法思想の世の中で,すごく人心も救いを求めていたようですね。私は,新聞に連載されている「親鸞」を読んでいませんでしたが,あれから読むようにしてます。他力本願,悪人正機説なども少しは分かりました。どの時代でも,新しい道を切り拓いていく人はすごい精神力の持ち主ですね。
私も・・でした。
yasumama 私もです。御文章がすめばお茶を用意するのですが 今は 若い人に任務??を譲りました。義母から 私 今はお嫁さん こうして 受け継がれてゆくのでしょうね。ちょうどよい タイミングって ドキドキでした。お嫁さんが 大変ですね。
広島も
大変のようですね。3日の昼前後・・っていってますね~~。
yasumamaさんへ
K.N
我が家では,お茶を出すのは,いつも姉か兄嫁です。みんな多分にお経が退屈なのかも知れません。嫁さんはまだ出番でないようです。そのうち,嫁さんになるでしょうね。台風は,もろこちらに来るようになってますが,それて欲しいです。警報が2つ出てましたね。在職中なら,明日は休校ですが。
知らないことがほとんどです。
sa-sa 帰省したとき、私よりは信心深い(?)母は新聞の連載を楽しみにしているようで、読んだ後切り取っていました。
子供の時から聞いているお経も意味は解らず
ただきいているだけですから、身近なものとして感じられないですが、「白骨の御文章」だけはちょっといいかなと。
親鸞さんについてもほんの一部しか知らなくて、今回一生をわかりやすく要約してもらい、ホント
点が線になりました。東京の銀杏、機会があったら見に行ってみようかしら。
お茶のこと、そうですね。そうしましょう!
今回の台風は大型で勢力も強く、あちこちに被害をもたらしていますが、そちらは大丈夫でしたか?こちらは今も時折強い風がふいていますが、たいしたことはありませんでした。本当に災害が多くてもうこれ以上勘弁してほしいです。
sa-saさんへ
K.N
sa-sasaさんのお母さんは信心深い方です。親鸞聖人の絵葉書を買って,お便りしましたが,お礼の電話もありました。他の人も,中国新聞連載の「親鸞」を読んでいる方が多いようです。私は読んでなかったのですが・・・。お経は意味がよく分からないので,いい加減に聞いてました。それぞれ1字1字に意味があるそうですから,これからはしっかり聞きたいと思います。何事もその意味を知ることは大切ですね。今回の台風やっと日本海に抜けましたが,被害は甚大でしたね。こちらは今回は何事もなかったです。
次男一家が,グアムへ遊びに行っていて,1日遅れで,今朝やっと帰れたと電話がありました。ホッとしました。それにしても今年は次から次へと災害がやって来ますね。まだ,地震も続いてますね。
yasumama 私は今一、信心深いとはいえない・・のですが 主人の事があって 少し変わりました、といっても やはり ダメです。子供のころは当たり前のようにお念仏の近くにいたような気持ちがするのですが 生活が変わり 毎日アクセク 過ごしてる内に感謝の心を忘れ信心の心を失ってました。



yasumamaさんへ
K.N



私も・・でした。
yasumama 私もです。御文章がすめばお茶を用意するのですが 今は 若い人に任務??を譲りました。義母から 私 今はお嫁さん こうして 受け継がれてゆくのでしょうね。ちょうどよい タイミングって ドキドキでした。お嫁さんが 大変ですね。
広島も


yasumamaさんへ
K.N


知らないことがほとんどです。
sa-sa 帰省したとき、私よりは信心深い(?)母は新聞の連載を楽しみにしているようで、読んだ後切り取っていました。
子供の時から聞いているお経も意味は解らず
ただきいているだけですから、身近なものとして感じられないですが、「白骨の御文章」だけはちょっといいかなと。
親鸞さんについてもほんの一部しか知らなくて、今回一生をわかりやすく要約してもらい、ホント
点が線になりました。東京の銀杏、機会があったら見に行ってみようかしら。
お茶のこと、そうですね。そうしましょう!
今回の台風は大型で勢力も強く、あちこちに被害をもたらしていますが、そちらは大丈夫でしたか?こちらは今も時折強い風がふいていますが、たいしたことはありませんでした。本当に災害が多くてもうこれ以上勘弁してほしいです。
sa-saさんへ
K.N


