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時は,過去,現在,未来へとずーと繋がっている。時の変化は,何気なく過ぎ去っていく。時は確実に流れている!
6月30日(火)広島県立美術館で「新県美展」を見た後,すぐ隣の縮景園に行った。外に出なくても,美術館から,直接に縮景園にな入れるようになっているが,美術館から外に出た。現在の広島県立美術館および広島市立幟町中学校の敷地は元々は縮景園敷地だったそうだ。
 縮景園は,1620年広島藩浅野氏初代藩主である浅野長晟が命じて作らせた藩主の別邸が起源であり,歴代浅野氏から寵愛を受け現在まで拡幅し,1940年浅野氏が広島県に寄贈し現在に至る。最初の作庭は上田宗箇によるものだが,現在の庭園の原型は京都庭師の清水七郎右衛門による後の大改修によって形成されたもので,1900年代初期明治末期頃に現在のものとなったが,1945年広島市への原子爆弾投下により荒廃し,その後,1970年代までに再建された。
原爆被害の縮景園
「縮景」とは,各地の景勝を聚め縮めて表したことを意味し,あるいは中国の西湖周辺の風景を縮めて表したことによると言われている。

美術館を出て,縮景園入口から,入った。シニアは,入場料が無料だった。美術館で昼食をと思ったが,1時間近く待つようなので,縮景園の中の売店「泉水亭」で軽食を食べた。姉は,冷しうどんセット,私は親子どんぶりセットを食べた。
縮景園入口 昼食
貰った栞の中の地図を見ながら,右回りに散策した。
縮景園地図
正面に,数寄屋造りで屋根は柿葺きの「清風館」を見て,牡丹園,清風池の所を通り,「有年場」の方へ行った。途中,色んな種類の紫陽花が咲いていたが,盛りを過ぎていたので残念だった。小さな水田で,藩主が田植えをして,その年の五穀豊穣を祈願したそうだ。
清風館 有年場 
すぐの所に,すごく大きな銀杏があった。原子爆弾に被曝して生き残った推定200年の「大銀杏」だそうだ。すぐ上の「迎暉峰」は,園内最大の築山で富士山を縮景表現している。この頂上から,広島城下や広島湾,はるか宮島まで望むことができたそうだ。現在は,周囲に沢山高層ビルが建ち,景観は以前のように良くない。天守閣の役目をする場所になっていたそうだ。下方を見ると,美しい庭園が一望できる。
大銀杏 迎暉峰
 
これは,「看花榻」で,藩主はこれに腰かけ,対岸の桃林の花や京橋川を行きかう川船を眺めていたそうだ。そこから北方向の下へ降りると,「香菜園」という茶畑があって,手入れをされていた。
腰をかけて川を行き交う舟を眺める 香菜園
再び,池の方へ下りる途中に,「霊迹壇(十王堂)」があった。これは約200年前の天明年間に洪水があり,京橋川が氾濫した時,川上から大小3体の仏像が漂着。お堂を建てて安置したそうだ。原爆のため,大きな仏像2体は焼失し,小さい仏像は奇跡的に残った為,お堂を再建して安置。平安時代の後期(1100年頃)の作で寄木作りの十王像との事。小高い所を下ると,池の側に「悠々亭」があった。四阿(あずまや)という様式で,古くは納涼茶会や歌会などに使われていたそうだ。原爆で焼失し,1969年に復元された。
霊迹壇(十王堂) 悠々亭
再び,小高い所に上がると,慰霊碑があった。そのすぐの所は,「祺福山」で,1713年藩主浅野吉長が稲荷神社を建立し,広島藩内の平穏無事と子孫繁栄を祈願したそうだ。原爆で焼失したが,現在は,饒津神社内に復元されている。縮景園の池:「濯纓池」には,大小14個の島が浮かんでいる。島は,長寿を祈願するための鶴と亀をかたどっている。「跨虹橋」を挟み,東西一島ずつ配置されている。「島嶼」とは,大小さまざまな島の事だそうだ。
祺福山 島嶼
跨虹橋」と「濯纓池」。右は,「清風館
跨虹橋と濯纓池
さらに歩いて行くと,滝のように水が流れている「白龍泉」があった。大改修の1807年に取水管で牛田山の清水谷から水を引いたが,水量が少なく絶えず破損があり,取水は取り止め,水溜を造成し湧き出るようにした。現在は井戸水だそうだ。その近くに,「楊貴妃型石燈籠」があった。形が楊貴妃が付けた冠に似ていることから,名前が付いた。同じ形のものは,京都の大徳寺の聚光院にある千利休の墓があり,貴重なものだそうだ。
白龍泉 楊貴妃型石燈籠
それから「夕照庵」の前を通り梅林の側を通り,「清風館」の処に出てきた。清風館の内部は,玄関之間.老候之間,清風之間,次之間,茶室,水屋があり,東側に花頭窓を設け,西側は優雅な書院造りになっている。こちらも原爆で焼失し,1964年に復元されたそうだ。原爆により,多くの命や貴重な文化遺産が失われていることを再認識出来た。
夕照庵 清風館1
途中,梅林の側の調馬場の側に,朝顔が綺麗に咲いていた。それに,濯纓池には色鮮やかな大きな鯉が沢山泳いでおり,亀もあちこちに沢山見られた。
朝顔 鯉
縮景園の散策を終え,広島駅からJRに乗って,さらに路線バスに乗って帰宅した。結構,歩いていて,9,000歩余りだった。いつもは,縮景園は余り念入りに見ないのだが,詳しい説明の標識があちこちにあったので,読みながら歩いたので再認識する良い機会となった。姉も満足したようだった。翌日,姉は帰って行った。今度は9月に帰省する予定だ。
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【2015/07/09 09:11】 | 散策
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yasumama
縮景園 ボーとみれば 美しい 綺麗と季節によって 様々な顔を 見せてくれますが 永い歴史のなかを じっと みていてくれるのでしょう。 まだまだ 未来永劫続く訳ですが なんでも思えば いろんな事が ありました。v-409
私も こんなに 永く生きてきていたのかと 自分自身で びっくり いたします。
そうそう シニアは無料って 嬉しくもあり 悲しくもありです。
姉上様と よい時間を お持ちになって 良かったですね~。v-410

yasumamaさんへ
K.N
v-252縮景園に4人で一緒に花見に行ったのは4年前になりますね。リバークルーズの後,縮景園で爛漫の桜を見て,v-386お弁当を食べてお抹茶も頂きましたね。月日が経つのは,ホント早いですね。今回,色々説明の標識が立てられていましたが,前もありましたかね。縮景園も原爆の被害に遭ったのですね。それ以前も,その後もずーと広島を見つめてきたのだということがよく分かりました。シニア料金は良いけど,時間が戻せるものなら,戻したいですね。姉も今年で古稀になります。v-243いつまで,墓掃除が出来るかしら・・・。v-361

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