FC2ブログ
時は,過去,現在,未来へとずーと繋がっている。時の変化は,何気なく過ぎ去っていく。時は確実に流れている!
8月16日(日),TVで「太陽の子」を放映すると,前宣していた。これは,必ず見なくてはとしっかり見た。
タイトル 
          
            登場人物
 太平洋戦争末期,都帝国大学の物理学研究室で原子の核分裂について研究している石村修(柳楽優弥)は,海軍から命じられた核エネルギーを使った新型爆弾開発のための実験を続けていた。空襲の被害を防ぐための建物疎開で家を失った幼馴染みの朝倉世津(有村架純)が,修の家に居候することになる。そこに修の弟の裕之(三浦春馬)が戦地から一時帰宅し,久しぶりの再会を喜ぶ。爆弾開発の実験がなかなか進まないなか,研究室のメンバーは研究を続けていく事に疑問を持ち始める。そして,裕之が再び戦地へ行くことになった矢先,広島に原子爆弾が落とされたという知らせが届く。研究者たちは広島に向かい,そこで焼け野原になった広島の姿を目撃するのだった。
原爆ドーム
科学者のアインシュタインが京都に来たのは,丁度,修(柳楽優弥)や世津(有村架純)らが生まれた頃のことだ。(注:史実での来日は1922年11月~12月)
京都大学の学徒兵の中にも,敵艦に捨て身で体当たりを果たす者が大勢いた。最早一刻の猶予もない状況。 そんな中,「この戦局を変える新型爆弾を作るように」と,海軍から京大の物理学者・荒勝文策(國村隼)のもとに依頼がきた。

1939年,ウランの原子核を破壊すると膨大なエネルギーが放出されることが発見された。 未知のエネルギーが生まれるのかもしれない。 世界中の科学者がその研究に夢中になる。 しかし,第2次世界大戦により,その巨大エネルギーは兵器へと導かれ,人類の歴史が変わろうとしていた。修は荒勝のもとで原子爆弾の開発を進める。
 
 そんな中,「ただいま。」と裕之(三浦春馬)が石村家に帰ってきた。部隊が配置換えになり,この機会に肺をしっかり治してこいとのことだった。その夜。「おすしや!こういうのが食べたかったんや。」と美味しそうに食べる裕之。
家族1
(科学者の苦悩)
この頃,京都でも毎晩のように空襲警報が鳴った。一方,京大の物理学研究室では,科学兵器を作ることに疑問が生じていた。「先に原子核爆弾を作ったものが世界の運命を決める。」と助教の木戸(三浦誠己)は言う。肝心の教授の荒勝は…
(荒勝)「この戦争は何で始まったんやろ? エネルギーや。 土地も鉱物も人間はエネルギー資源を求めて戦争をする。 先の戦争もそうやった。 我々が核分裂をコントロールしてエネルギーを自由に使うことができるようになったら,人間のエネルギー問題は永久に解決するはずや。 そしたら戦争はなくなる。わしもこの戦争に大義があるとは思えへん。 けど今,日本は戦争をやっとる。 どうしようもない事実や。 それなら世界を変えたい。 世界を変えるために科学をする。 原子物理学をやる。 これは 夢物語か? 科学者が夢語らんでどうする?」
 修は迷いを断ち切った。世津にも原子の核分裂について話す。危ないけれど,「こんなにきれいな色を見たことがない」という程キレイな光を放つんだ…と修が言うと,世津も関心を示した。

 やがて,沖縄戦でアメリカ軍が首里を陥落させたと,アメリカの司令官が宣言。日本の敗戦は濃厚だ。
修は,澤村(イッセー尾形)から,わずかなウランを貰い,研究室に帰ってきた。しかし,そんな得体が知れない品で,しかも少量で実験をしても無意味だと仲間に言われてしまう。怒り出す修。世界を変えたいと思ってやってきたのに…「俺らがやっとることは正しいことですか?」と修は嘆き悲しんだ。
★裕之(三浦春馬)戦場へ
来月の予定だったが,裕之は再び戦場へ向かうことに。その前日の朝方,裕之を探す修と世津。裕之は入水自殺を図っていた!
修が海から浜辺へと連れ戻し,裕之の顔を叩いて目を覚まさせた。裕之は「怖い。怖いよ。 でも俺だけ死なんわけにはいかん。 死なん訳にいかん。」と叫んだ。
2人に駆け寄った世津は「戦争なんか早う終わればいい。 勝っても負けても構わん」と告げた。
その夜。裕之の出征前夜。修と裕之は語り合っていた。
(修)「今の研究が成功すれば戦争が終わる。」
(裕之)「待ってるよ。…世津を幸せにしてやってくれ。 世津はええ女になった。 」
(修)「世津が好きなんはお前や。」
(裕之)「兄貴は何も分かっとらん。」
タイトル画
勝手に言われていた世津は,私は戦争が終わったら教師になると言い出す。そして2人に「戦争が終わったあとのこと考えてんのか」と尋ねた。今の子供たちは出産して国に捧げたいと言っているという。世津は大人の責任を感じていた。だから戦後には「教育が大事になる,結婚はそのあと」と言う。
(世津)「それにはまず。 裕之さんが無事に帰ってくることや。 怪我なんかしたら承知しませんよ! 分かりましたか? (はい。)
修さんは学問を頑張ること。返事!(はい。)」
(裕之)「そやな。 いっぱい,未来の話しよう!」
世津は2人の手を取り合い,3人は笑いあった。
翌日,裕之は戦地へ向かった。原爆が投下。裕之は,「進まなければ何も見つからない。 僕は進みます未来の話をするために。」
入隊
そんな中,ラジオで,アメリカが広島に原子爆弾を落としたことを告げる英語の放送が流れた。荒勝たち研究室メンバーは広島の調査へ向かう。そこで廃墟となった街並み,遺体の山を目撃。「これが 僕たちが作ろうとしていたものの正体なんですね」と修は思った。
★裕之(三浦春馬)の手紙
修が石村家へ戻ると,母のフミ(田中裕子)が仏壇の前で「何で あの子が!」と叫ぶ。修は裕之からの手紙を読んだ…
「母上様
生をうけ 二十六年の長い間
小生を育まれた母上にお礼申し上げます。
飛行機の道を選んだことは
母上様の胸を痛めたことと思います。
親不孝の数々 お許し下さい。
再び還らざる出撃命令が下りました。
今に及び 何も心残りはありません。
この手紙が着く頃 戦果をあげてみせます。
裕之は お国の為 笑って死にます。
母上と兄上の幸福をお祈りします。
ありがとう
さようなら」。
結末
広島に続き,長崎にも新型爆弾が落とされた。3発目は京都に落ちるという噂があった。裕之は,2度目の調査に行くのでなく,新たな提案を荒勝に申し出た。それは比叡山に登り,爆発の瞬間を見ること。原子物理学者として。
世津やフミには疎開を勧めた。しかし,フミは動かないという。科学者の息子を持った母親の責任だという。
(世津)「あとの時代のことは分かりません。 私たちはただただ今を一生懸命,生きています。日本は,世界は,どうなっていますか? 平和ですか? 幸せですか?」
現在の広島の原爆ドームを学生服姿の修が訪れて太陽を見上げた。
柳楽

【太陽の子】の感想まとめ
三浦春馬さん演じる裕之は,入水自殺(未遂)があった上で,特攻隊で亡くなるという衝撃的な結末!思えば,三浦春馬さんは映画『永遠の0』(2013)で,祖国を守るために特攻で散った祖父(演:岡田准一)の孫(演:三浦春馬) を演じていましたね。あれから約7年が経ち,特攻隊員の役を演じたことになります。一体どんな思いで演じたのでしょうか。
三浦さんは「僕たちの仕事は想像力を皆様に届ける仕事」とインタビューで語っていました。そのイマジネーションが戦争を始めさせないことに繋がって欲しいですね。
このあらすじは,よく覚えていない所もあるので,ネットから参照させて貰った。核兵器も世界の多くの国が保有する現状だ。それが人類破滅に繋がりませんように。しっかり,戦争体験を語り繋いでいかなくては・・・。
スポンサーサイト




【2020/08/20 10:40】 | 平和
トラックバック(0) |

心に思う事 沢山ありますね~~!
yasumama
ボーとみていたから 2回 見ました。
私は 思いました・心が痛みましたv-393
もし もしかして 日本側が 先に 成功していたらって 加害国 に なるんだろうな~~ってv-399
「今の研究が成功すれば戦争が終わる。」という修の言葉・・・は どういう意味だったのかってv-390
あの 苦しい時代・世津達に ここにおいでって 言ってくれた修・フミ それにも 感心したな~~~。
あの時代の事 若者の 遺書 いろいろ 読ませていただいたけど 涙を流したとて どうにもならないけど  「いっぱい,未来の話しよう」って言葉 重みがあります。
今の私だって 未来の話・希望の光・残り少ない年月だけど 熱望しています。
ネットにもいろいろ 載っています‥・目と耳を 疑うような事が 一ぱい あったのですね。
苦しさを乗り越えれた先には・・・・・・ですね~~。そして 現在が あるv-409
因みに 柳楽優弥 大好きです。「誰もしらない」って 映画から 心に残ってます。
あの頃は 少年だったけど。
永遠の0、見たけど 孫(演:三浦春馬)は 覚えてない??岡田准一さんが 強烈でした・・本も読んだけど 数年前だと 記憶の外にとんでしまって ダメですね~~。

yasumamaさんへ
K.N
連日,うだるような暑さが続いています。75年前の終戦の時も暑かったことでしょう。外地に行って,戦死された人,空襲で亡くなった人,怪我をして帰国された人など,悲惨な状況だったと思います。食料も極端に乏しく,餓死された人もいたとか・・・。家族を失い,住む所も無く,路頭に彷徨っておられたのでしょうね。2度と,そんな悲惨な目には遭いたくないですね。今の私たちは,平和に何不自由なく暮らしていますが,現在は,新型コロナウィルスで,自粛生活を余儀なくされています。専門家会議の先生が第2波にピークと言われているので,これからは少し落ち着ける時も来るのでしょうか。何時の時代も,色んな出来事が起きて,大変ですね。忽ちは,コロナ対策を頑張りましょう。日本政府は,早く核兵器禁止条約を批准して欲しいですね。それにコロナのワクチンが早く使えるようになって欲しいです。三浦春馬さんは,どうして自殺されたのかしら。死ぬ気持ちで,頑張れば,どんなことでも乗り越えられるのでは?。明日は,太極拳講座ですが,この暑さでは,大丈夫かしら。そろそろ,涼しくなって欲しいですね。


sa-sa
「太陽の子」、残念ながら私は見なかったんですけど、このブログであらすじやその状況を深く想像することができました。大久野島で毒ガス兵器が秘密裏に作られていたことを思うと、もし日本が先に成功していたらというyasumamaさんの懸念が頭をよぎります。アメリカのマンハッタン計画に携わった方の中にも、とんでもないものを作ってしまったと思った方もいたそうです。なのにこの原爆の恐ろしさが世界に浸透していかないのは、投下した側のなるべく知らしめたくないという思惑があって、その詳しい惨状が伏せられていたことが大きいと思います。被爆された方々も、苦しみながらも理解されず、その上に差別されたり、、、またこんなひどいことは思い出したくないということがあって、、長い間伏せられていたと思います。
原爆は地球を滅ぼしてしまいます。核兵器禁止条約を早く批准してほしいですね。うまく言葉が繋がりません。

sa-saさんへ
K.N
v-265第2次世界戦争が終わって,75年を迎えました。日本は,日清戦争,日ロ戦争,第1次世界戦争を経て,壊滅的な第2次世界大戦に突入しました。昨夜のTVでは,たけしの「カメラを止めるな」っていうNHKの番組で,日本が苦戦していたにも関わらず,勝利に向かっていたというニュースを紹介していました。映画館へ行くと今でも,上映前にニュースを流すのは,その名残だという事でした。v-42苦戦している真実は,うまく,その記録映画から隠されていたそうです。それを見て国民は騙されていたそうです。正しい情報が国民に知らされることはすごく大切ですね。現在でも,政府が隠匿したり,シュレッターにかけたとか言われて知らされていないことが続いていますね。国民の「知る権利」は尊重されなくては・・・。なかなか面白い番組でした。国民のリーダーたるに相応しい人が出てきませんかね。私たちは,選挙しかできませんんが・・・。平和で安心して暮らせる国になって欲しいですね。v-354

コメントを閉じる▲
8月15日(土)終戦から75年を迎えた15日、政府主催の『全国戦没者追悼式』が東京都千代田区の日本武道館で行われた。新型コロナウィルス感染症の影響で,20府県の遺族が欠席となった。参列者は約310万人を悼み,不戦の誓いを新たにした。
全国戦没者追悼式
安倍晋三首相は,アジア諸国への加害責任に触れず,「積極的平和主義の旗の下,世界の課題解決にこれまで以上に役割を果たす」と述べた。首相が意欲を示す敵基地攻撃能力保有を示す議論がされており,遠のく惨禍の記憶の継承が問われる。第2次政権発足後8年連続で加害責任と反省に触れなかった。今回は,「歴史と向き合う」との趣旨の言葉も無かった。
内閣総理大臣
今年の参列者は,約540人で過去最少。昨年の約6200人の1割弱となった。マスク着用や消毒,社会的距離に配慮し,感染防止対策をとった中での式典となった。
密を避ける
戦後生まれの陛下は天皇として2度目の参列。今年は,コロナの困難な状況を乗り越え,平和を希求することを願うお言葉を読みあげた。
天皇・皇后哀悼の意
正午の時報に合わせ参列者が黙とうした。
黙祷
父親をフィリピン・ルソン島で失った杉山英夫(82)さんが遺族を代表し,「二度と戦没者遺族を出さないために,戦争の悲惨さと恐怖,平和の尊さを語り続け継承してまいらなければならない」と追悼の辞を述べた。
遺族代表哀悼の意
参列者の中で最高齢は,兄が中国で戦病死した長屋昭次さん(93)。最年少は,中学1年の井田雪花さんで曽祖父が南太平洋の島国ソロモン諸島周辺で戦死。遺族の高齢化が進み,遺族会が解散した地区もあるそうだ。日本遺族会によると,傘下団体の2019年の総会員数は,約57万世帯。1960年代半ばの半数以下で減少が続く。総務省が今年4月に公表した人口推計によると,戦後生まれは84.5%にあたる1億6500万2000人に。19年度の旧軍人の恩給受給者は1万人を割っているそうだ。
衆議院議長哀悼の意,参議院議長哀悼の意があった。
衆議院議長哀悼の意 参議院議長哀悼の意
8月16日(日)教育TVで,戦没画学生の美術館『無言館』を紹介していた。
無言館内
私は,2017年6月に,呉市立美術館で,戦没画学生の絵や手紙などの展示があったので見に行ったが,3年ぶりに,改めてTVで見た。若い画学生たちが,戦争に駆り立てられ,戦死しなければならなかった無念さを思い,涙した。
「家族」伊澤洋,「和子の像」太田章
家族 和子の像
「静子像」佐久門修,「祖母の像」蜂谷清
静子象 「祖母の像」

この人たちが生きて,戦後活躍していたら,素晴らしい絵を沢山描かれていただろうと思いを新たにした。

【2020/08/17 10:32】 | 平和
トラックバック(0) |
2020年8月9日(日)朝から,『長崎平和記念式典』をTV中継で見た。広島平和公園へは,何度も行ったことがあるが,長崎へは訪れたことがない。長崎原爆投下について,断片的に聞いていたことがあるが,長崎の平和公園には行ったことがない。
長崎平和祈念式典1
 平和祈念式典では,初めに,児童合唱「あの子」 (作詞:永井隆/作曲:木野普見雄)が歌われた。70年以上も山里小学校で大切に歌い継がれてきた「あの子」という歌について説明する。

1.壁に残った らくがきの
  おさない文字の あの子の名
  呼んでひそかに 耳すます
  ああ あの子が生きていたならば
2.運動会の スピーカー
  きこえる部屋に 出してみる
  テープ切ったる ユニフォーム
  ああ あの子が生きていたならば
3.ついに帰らぬ おもかげと
  知ってはいても 夕焼の
  門に出てみる 葉鶏頭
  ああ あの子が生きていたならば

 長崎市立山里小学校は,爆心地から約500mの地点にあったことから,原爆によって1,300人の児童と先生が一瞬に命を絶たれたそうだ。永井隆博士は,自身も被爆し,妻を亡くしながらも被爆者の救護活動と原爆の記憶の保存に晩年まで取り組まれた。博士は,亡くなった子どもたちの霊を慰め,平和への足がかりにしようと,生き残った児童たちの原爆体験記「原子雲の下に生きて」の出版を援助し,その印税で「あの子らの碑」を校庭の片隅に建立した。さらに,博士は,自ら「あの子」を作詞し,木野普見雄さんに作曲を頼み,1949年11月3日に行われた碑の除幕式で,山里小学校児童の歌で披露されたのが初演。以来,「あの子らの碑」には千羽鶴が絶えることがなく,歌の「あの子」も,山里小学校で今日まで歌い継がれているそうだ。
あの子1 あの子2

折鶴
68カ国から参列され,広島と同じく,新型コロナウイルスの影響で参列者が例年の1割程度の約500人で限定される中で営まれた。11:02に黙祷。
参列者 黙祷2

長崎市の田上富久市長は式典で「平和宣言」を読み上げ,高性能の核兵器の開発が進んでいるなどとして,核兵器使用の脅威が現実のものになっていると危機感を表明。世界各国の指導者に核軍縮の道筋を示すよう求め,日本政府と国会議員に対しては未発効の核兵器禁止条約への署名・批准を強く促した。
被爆者代表・深堀繁美さんは,「長崎を最後の被爆地に」と切なる願いを訴えられた。長崎市本尾町のカトリック信徒,深堀繁美さん(89)が務めた。昨年,訪問した被爆地長崎からローマ教皇フランシスコが発した核廃絶のメッセージに呼応し,「一人でも多くの皆さんがつながってくれることを願ってやみません」と訴えた。
長崎市長 被爆者代表の平和への誓い
来賓 安倍晋三首相の挨拶では,核禁条約に触れず「非核三原則を堅持し,立場の異なる国々の橋渡しに努め,核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取り組みをリードする」と語った。首相は式典後の記者会見で、,核禁条約が掲げる核廃絶という目標は「共有している」としながらも,「安全保障の現実を踏まえていない」「わが国の考え方とアプローチが異なる」と述べ,反対の姿勢を改めて示した。「黒い雨」については,再検討とすると言った。来賓長崎県知事の挨拶
来賓あいさつ安倍晋三 来賓挨拶長崎県知事
国連事務総長アントニオ・グテーレスの代読(国連事務次長 中満泉),日本の女性で,国連で活躍されている。
国連事務総長代読 
平和の誓いあらたに,緋色の鶴を折った女子高校生。
鶴を折る
平和祈念式典の式目や順番がはっきりしなくて,入れ替わっている所があるように思う。
 最近の新聞で,「核兵器を使わない選択肢もあり得た」と,ジョージメーソン大学教授でアメリカ歴史家が特別寄稿で述べている。
何故アメリカは原爆を使用したのか。原爆投下は日本に降伏を促したのか」と言っている。マンハッタン計画責任者で陸軍長官のスティムソンは原爆を「文明を破壊する怪物」とみなし,その原爆観に立脚し,原爆を使うべきでないと大統領のトルーマンを説得出来ていたらば,どうなっていただろうか。アメリカは日本の外交公電を傍受しており,1945年夏には日本が受諾可能な降伏条件を模索していたのは明白だった。原爆が投下されていなかったら,多くの人たちの命が救われ,それからの歴史も大きく変わっていたのでは・・・。日本への原爆投下は次の核戦争を起こさせないどころか,むしろその可能性を高めてしまったのかもしれない。と締めくくっている。
新聞記事
私も,同感だと思う。2度と繰り返してはいけない。

【2020/08/13 17:04】 | 平和
トラックバック(0) |

汗・汗・汗です!
yasumama
いろんな事が巡ってきます・・・どうにもならなかった??のだろうかって 思ってみても 胸の内は苦しくなります。
こんな事で 暑い暑いって言っては 申訳ないと思いつつv-406v-406
今日の新聞・「広場」沢山の方が 思いを寄せていらっしゃる・・涙をながすだけしか出来ない自分です。不戦の思いは しっかりと受け継いでいかないといけません。
記憶伝承 そして 残酷さから逃げずって ありますが しっかり受け止めて 次世代につなげなくてはいけませんね。

今夜は「太陽の子」NHKですね。
 しっかり 見つめたいと思います。v-393v-404


sa-sa
広島の平和記念式典の中継は見ることが多くても、長崎の平和記念式典の模様はニュースで見る事が多く、児童合唱されてる「あの子」の歌のことも初めて知りました。爆心地から500mの地点にあった小学校の児童と先生の命が一瞬にして絶たれたという事実も、、、です。原爆の悲惨な惨状をもっと多くの人が知らなければいけないと言ってる(強く思っている)自分自身が、本当に多くのことを知らないでいるんだと、改めて思いました。歌詞から、その時まであった1300人の命の存在を色々想像することができます。「あの子らの碑」に千羽鶴が絶えることがないということも、歌い続けられ、伝え続けられているからですね。広島の「原爆の子の像」に重なります。
アメリカに於いて、原爆投下の疑問が出てきているというのは希望ですね。本当に、原爆を投下しなくても決着はついていたのに、ましてやさらに、型の違う爆弾を長崎に投下したということは、問われるべきだと思います。
核廃絶への道は遠くても、やっぱり言い続けて行かなければいけないし、日本政府には、先頭に立って行ってほしいのに、残念ながら、ですね。

猛暑が続いています。こちらも先日は39度超えたところもありましたv-405熱中症にも気を付けなくてはいけませんですねv-473

yasumamaさんへ
K.N
v-313原爆投下から75年,私は生まれていなかったのですが,両親から,原爆の事は色々と聞かされていました。同じ人間で,何でこんなむごいことが出来るのかと,強く印象に残っています。焦熱地獄さながらの状況だったのでしょう。無差別に多くの人たちが命を奪われ,現在もなお,後遺症に苦しめられている人もいます。この時期,被爆された方などが,多くの体験を話されたり,描かれたりしています。核兵器禁止条約も,日本政府は,積極的ではありませんが,多くの国で批准されるべきですね。被爆者が高齢化され,語り継ぐことが難しくなりつつあります。みんなで語り継いで行きたいものです。今夜のv-265NHK「太陽の子」もしっかり視聴しましょう。

sa-saさんへ
K.N
e-343私も,長崎の原爆平和祈念式典は,余り見たことがありません。永井隆博士は,自身も被爆し,妻を亡くしながらも被爆者の救護活動と原爆の記憶の保存に晩年まで取り組まれたという話は,v-87何度か本で読んだ記憶があります。残された子どもたちは,痛ましいですね。「あの子」はずーと歌い続けられているそうです。日本は,人類で最初に新型爆弾:原爆が投下された国です。アメリカでは,戦争終結を早め,兵士の命を救ったという原爆投下を正当化する意見もありますが,日本への原爆投下は次の核戦争を起こさせないどころか,むしろその可能性を高めてしまったのかもしれないという意見もあります。広島は「リトルボーイ」,長崎は「ファットマン」という原子爆弾でした。2つも投下する必要があったのでしょうか。核廃絶の道は,遠くなってきている気がします。在職中,夏休みには,「平和登校日」があり,生徒たちと,平和教材を作って,発表していました。それも,段々止めようという声が出て,無くなってしまいました。粘り強くアピールし,平和を創り出していかなくては・・・。v-354


コメントを閉じる▲
明日8月6日(木)は『原爆の日』。多くの市民が無差別に命を奪われ,壊滅した広島の街は75年を経て復興を遂げた。この間,1人1人が失われた命と被爆者が歩んだ苦難の道に思いをはせ,平和の実現から遠のいていくように思われる世界情勢へ,あらためて,平和を訴えたい。トランプ大統領は,核兵器開発につながった75年前の初の核実験を「素晴らしい偉業」と表現した。核大国のリーダーの言葉に怒りと無力感が広がった。トランプ政権は小型核の開発・配備を進め,核廃絶への道は険しさを増している。この春に予定されていた5年に1度の核拡散防止条約再検討会議は,新型コロナウィルスの感染拡大の影響で延期された。核兵器廃絶運動を引っ張って来た被爆者団体が各地で岐路に立っている。生々しい体験を直接聞き,ともに活動できる時間は短い。8月4日(火),アメリカのオバマ前大統領,教皇フランシスコから,平和な世界への実現に向けて,メッセージが届いた。
メッセージ
昨日の新型コロナウィルスの感染は,かなり増加している。広島県内の感染者の累計は,382人。(広島市は242人,府中町は6人。呉市は8人の感染者が出ている。
8月5日国内感染者数
8月と言えば,『お盆』毎年4・5回,3か所の墓参りに行く。今年は,兄姉,息子・孫たちと遠方なので,コロナの感染もかなり増えているので,お参りは行かないことにしようかと思っている。新聞にも掲載されていたが,新型コロナ再拡大で,帰省を見合わせる人が多いらしい。帰省で,みんなに会えるのを楽しみにしていたが,今年は,どうも無理らしい。帰省できないので,8月の初めに,次男と嫁に誕生祝を送った。
今夏の帰省は
やっと夏らしいお天気になったが,全国的に気温が上昇し,すごく暑い。庭の花やトマトなども,急激な温度変化に順応していないのか,今一って感じだ。1日に,2回十分に水をやっているが,花や葉っぱは元気がない。
「野ぼたん」,「玉すだれ」 野ぼたんは,蕾が付いても沢山落ちていたが,やっと花が咲いた。
野ぼたん 玉すだれ
「千日紅」,白の「百日紅」 百日紅は,赤もあるが,高い所にあるので,写真に撮るのは,逆光になって難しい。
千日紅 白百日紅
「フロックス」 少し前に沢山咲いたが,また,蕾を付けて沢山花を付けた。
フロックス
赤の「ミディトマト」,黄色の「ミニトマト」 ミニトマトや赤のミディトマトは,かなり収穫できたので,フルーツがわりに食べたり,知人に上げたりした。甘くて美味しかった。
ミディトマト 黄色のミニトマト
「ランタナ」 色んな色に咲くランタナは,可憐で可愛い。
ランタナ1 ランタナ赤
今日も暑い1日だったので,熱中症にならないように,エアコンをかけて,家で大人しくしていた。明日も,暑いらしい。

【2020/08/05 17:15】 | 平和
トラックバック(0) |

何とも言えない難しい選択でしょうか・・・!
yasumama
いろんな立場が あるのでしょうが 難しい選択ですよね~~~!あの方は自粛を 求めたいというし それを 求めないって言う 指導者も おられて 難しい・・今 帰らんでもって 思ったり 故郷に帰って ほっとしたい気持ちも よぉく 解ります。
私など 孫は大きくなって それぞれになってくれば そうだよなって 気持ちもわかります。
でも 可愛いさかりの孫さん・・逢いたいでしょうね。
でも、県を超えての帰省・・考えますよねv-394
何をどう考えていのか 分からないです。

今朝は黙祷をささげました・・知ってる人が ダンダン 少なくなってくる…私でさえ 山の中での幼い経験 ニョキニョキと 原爆雲の上がったことしか しりません。
沢山の人々が この恐ろしい事に あわれたのですね。v-395
いろんな方の本を読んだり 聞いたりしないと・・・。
皆が声をあげないと 判らないです。

いつも お庭は 美しいですね。それに 実がつく いいな~~~v-410

すみません!
yasumama
いつも御迷惑をかけます。v-399v-399
今日も沢山の感染者・・東京都・・です。
わが市は 0を 保ってるのでしようか。

今日は例のところ ・・・・・なしの所  赤色です。。v-399
送信できるでしょうかね~~。


sa-sa
依然としてアメリカでは、原爆投下は戦争を早く終わらせて米兵の命を救うために必要だったという認識が主流らしいですが、先日アメリカの歴史学者が、米紙に寄稿。「トルーマン大統領らも原爆を使わなくても、日本が近くに降伏することを認識していたことは、日米の歴史的資料からも証明済みだ、、」、戦争の終結に原爆投下は必要なかったのではないかという内容らしいです。原爆投下直後の惨状や75年経っても放射能の影響で苦しんでいる人たちがいることを思うと、広島、長崎の原爆投下について、世界はもっともっとよく知るべきだと思います。そのためにはK.Nさんも言われているように、被爆した方々の生々しい体験を直接聞くことが一番訴える力があると思いますが、時間が短くなりましたね。唯一の被爆国日本は、率先して、核廃絶へのリーダーシップを取るべきだと思いますね。
新型コロナウィルスの感染者は増え続けていますね。移動もままならず、友達も、お盆に神奈川の子どもや孫が埼玉まで車で帰ると言っているが、帰るなというべきか迷っていると言ってました。新聞に「緊張感をもって見ている。三密を避けて、、」を繰り返すのみの今の政権は、経済に舵を切ったのではないかとする記事が載ってました。地方自治体に任せてだけでは、予算面も限界があるということですし、医療現場の過酷な状況を知ると、国からもっと積極的に医療体制へ手を差し伸べてもらうと、安心に繋がると思うのですが。ブログの新聞記事にあるように、リスクを回避して沢山の方々が自粛されているんだなーと感じます。
ミニトマト、新鮮なのが食べられていいですね!新鮮なのが何よりのご馳走ですv-218v-433

yasumamaさんへ
K.N
コメントが受け付けられなくて,色々と迷惑をおかけしています。今まで通りなのに,どうしたのかと考えています。当分,無理だと思うので,ごめんなさい。

ご心配・・不要ですよ!
yasumama
ごめんなさいね。何が 何で どうなるのか 只 只 気の向くままです。

私の勝手な気まぐれで 投稿するのですから 気になさらないで くださいね。
今日もありがとう お休みデーの来週 嬉しいやら 寂しいやらです。v-390

sa-saさんへ
K.N
v-42日本の無謀な戦争から生じた事でしょうが,列強の大国の思惑から,マッハタン計画が実行されました。原爆によって,戦争が早く集結した,沢山の兵士たちの命を救ったなどの意見がありますが,「原爆を使う必要がなかった」という意見もあります。人類で初めて使われた原爆,人道的にゆるされない兵器ですよね。非戦闘員の命が奪われ,その後遺症は,長い間尾を引いています。「黒い雨」の裁判もありました。今年の夏は,第1波の新型コロナウィルスが収まりきらないうちに,第2波に入っているのかも・・・。今日も過去最多で感染者が増えています。ワクチンや治療薬が出来るのは,来年になるようですね。手洗い・三密を避ける・不急不要の外出をしないなど,色々言われていますが,我慢にも限界があります。経済再生も大切ですが,命には替えられません。医療破壊にならないよう,施策が急務ですね。とうとう,わが市にも感染者が増えてきています。猛暑の中,マスクは辛いです。人と会わない所ではマスクを少しずらしています。早く,コロナが終息しないかしら。来年のオリンピックも出来るかどうかv-361心配です。そちらも感染者が増えているので,気を付けて下さい。v-400

コメントを閉じる▲
8月10日(土)朝刊に,こんな記事が載っていた。あれは何年前になるだろうか。よく覚えていないが30年位になるかも・・・。元同じ勤務校の大先輩の先生の教え子に,学徒動員で大久野島の毒ガス爆弾製造作業所に行っていた女学校2年生がいた。その生徒は,戦後,中・高校の美術の教諭をしていて,学徒動員の当時の出来事を次代に伝えねばと思い,講演に行かれたり,画集にして色んな所で配布されたりしているとのことだった。私が勤務していた学校は,平和教育に熱心に取り組んでおり,毎年,夏休みに『平和登校日』を設けていた。平和登校日に,岡田黎子さんに講演していただき,その時,「毒ガスの島・大久野島の画集」を頂いたことを思い出した。(※ 画像をクリックすると大きく見えます)
新聞記事岡田藜子
岡田黎子さんは,1929年生まれ。京都市立美術大を卒業後,中・高校の美術教諭を務められた。大久野島の学徒動員に加え,被爆直後の広島にも動員され,広島郊外で2週間にわたって瀕死の負傷者の救護にあたられ,人の世とは思えぬ惨状を見られ,次々に亡くなる負傷者に声も出ないような思いを体験されたそうだ。1985年病気退職後,日本画を制作をしながら,戦後は,得意な絵の道を選び,戦争体験の証言活動などに励んでこられたそうだ。
2009年に岡田黎子さんは画集『子どもたちの太平洋戦争』を制作され,被爆者救護にあたった体験や戦後の毒ガス処理の様子など,優しいタッチで加害も被害も入り混じる戦争の姿を描かれている。
絵で語る子どもたちの太平洋戦争
風船爆弾を作る作業に携わっていた様子。
風船爆弾 爆弾造り1
毒ガス製造・運搬などの様子。
爆弾造り2 毒ガス被害
戦争中の竹槍訓練の様子。
竹槍訓練
画集は4冊あり,毒ガスの濃縮原料を保管庫から取り出す様子など作業風が載っている。89年に第1作,2010年に第4作を出された。私が,かって岡田黎子さんから頂いた本は,初版でモノクロで小ぶりな冊子だった。家においていると思い,色々探したが見つからなかった。もう一度,しっかり探してみよう。
1988年に大久野島に開館した毒ガス資料館で初代館長の故村上初一さんは,平和学習に訪れた児童や生徒や修学旅行生たちに体験を語っておられた。私も,その後,何度か大久野島と毒ガス資料館を訪れた。1996年春に村上さんが館長を辞任されてからは組織的な証言活動は事実上途絶えているそうだ。現在は依頼があれば,毒ガス障害者の団体や市民グループが証言したり,大久野島のガイドを引き受けているそうだ。
大久野島毒ガス記念館
1927年には,島全体が陸軍の毒ガス製造を目的として,陸軍の管理下となった。毒ガス兵器という国際的に禁止された兵器を作っていたので,戦争中,この島は地図から消されていた。当時の地図を見たら,本当に消えていた。
大久野島地図
毒ガス工場には,地元の農民や漁民,勤労動員学生ら6500人が一定の養成期間を経て従事していた。毒ガス工場へは希望入所ではなく,国家総動員法の徴用令状により,殆どが16-17歳という未成年で,強制的に大久野島行かされた徴用者だった。
元従事者たちは,戦争中,憲兵から島で見聞きしたことを外部に話すことを禁じられていた。戦後は,毒ガス工場で働いた事実が明るみに出て,自身や子どもらが差別されることを恐れたそうだ。心はずっと毒ガスの事で縛られていた。
<勤労奉仕していた元女学生>は,
大久野島で何を製造しているか知らされていなかった。黒く焼けた鉄の色をした顔,目の縁が黒くなった顔,ガラガラ声の工員さんの姿を見て,何とも言えぬ不安を感じ,何か良くないものが製造されていると思っていたそうだ。
<元徴用工>は,
帽子に浸透したルイサイト(毒ガス)が,ほんの少しだけ頭に触れた。2時間後,頭痛が始まり,3日3晩にわたり七転八倒したそうだ。かなづちで頭を殴られ続けているような痛みだった。激しい痛みに襲われ,初めて自分たちが作っている毒ガスの恐ろしさを知ったという。
<元中学動員学徒>は,
顔は黒く,目は赤く,肺はただれ,集会の折,駆け足で来る第2工場(イペリット)の人達は咳が止まらず,血を吐いていたそうだ。退職を願った人には,憲兵がやってきて,責め立て,殴打するので,毎日,泣き泣き自転車を工場に走らせていた。

戦争が終わって不要となった毒ガスや化学兵器は,大久野島の島内の地中に埋め込んで処分されたり,上記の毒ガス貯蔵庫などで火炎放射器を使って焼却されたり,周辺海域への海洋投棄といった方法で処理され,除毒措置が施された。

近年,小学校で飼っていたうさぎを大久野島へ移住させた結果,すごく繁殖し,多数のウサギが棲息することでも知られることとなり,「ウサギの島」と呼ばれている。現在は年間約10万人の観光客が訪れる「ウサギの楽園」として知られ,一部のウサギ好きの聖地ともなっている。特に,外国人の観光客が沢山来ているそうだ。孫たちも,5年位前に,うさぎと遊び餌をあげるために大久野島へ行ったことがある。
うさぎ
「戦争で受けた苦しみを知っているからこそ加害の歴史も直視しなくては・・・。それが過ちを繰り返さない大きな力となる」と,岡田黎子さんは,生涯をかけて訴え続けておられる。

【2019/08/11 17:48】 | 平和
トラックバック(0) |


yasumama
元徴用工・そして元中学動員学徒・・・そして 勤労奉仕をなさっていた人達 国民 皆が・・・退職を願った人に対する 仕打ち 読ませていただくだけで 身のけもよだつ 怖さをおもいます。

毒ガスの島とは 知ってましたが 兎が生息して可愛い動物って 事で 何度か訪れましたが・・・
このように しっかり 教わると・・・・。
実験動物として 兎が持ち込まれたって・・・
それに作戦中止後に安楽死をさせられてって 人間の身勝手さに・・・と 思わずにはいられませんね。

現在の兎くん達は引きずっては いないのですねぇv-12
8月15日 もう すぐですが もう少しだけ 早く終結してればって 思わずにはいられません。
玉音放送のドラマ みましたけど 自分の命と引き換えにしても 守りたいものです。
硫黄島への手紙・・・二宮君フアンでも 最後まで 直視できないのです。
もう 何度 放送があった事か・・・むごい事です。v-393 

yasumamaさんへ
K.N
v-388この時代,日本中が戦争の真っ只中で,反対するものは,ひどい目に合わされたそうです。私は戦後生まれなので,体験していませんが,親や周りの人や本などから,そうだったのか知るのみです。この戦争で,いかに多くの人がかけがえのない命を失った事か・・・。私の大先輩の日本画を描かれていた先生は,新卒の頃,生徒を引率して酷い場所に学徒動員の生徒を連れて行かされたことを,何度か話されていました。戦後74年,今の平和がずーと続くことを切望しています。毒ガスの検証に使われたのは,小鳥です。このうさぎは,戦後かなり立って,小学校で飼われなくなった何匹かをこの島に放し飼いにしたものが増えたものです。私が,毒ガス資料館などへ行った頃は,うさぎはそんなに沢山いませんでした。硫黄島へは,私の同僚だった先生の夫の父親がその地で戦死されたという事で,硫黄島に遺骨収集に行ける機会があって,行かれました。普通は,行けない島ですが,東京での報告会にも参加されたそうです。新聞の投稿欄に載っていたので,分かりました。身近にも,戦争と色々関わりのあるものですね。平和は,1人ひとりが強い意志を持って,色んな事にあたるべきだと痛感しました。明日は,終戦記念日ですね。v-354


sa-sa
このブログを読んでどう表現してよいのか。大久野島にガス工場があったことは知っていましたが、その実態は知りませんでしたから。6500人もの人々が動員されたということ、どういう人たち動員されたのか、どういう環境の下で従事させられていたのか、yasumamaさんの言われているように、身の毛もよだつ感じです。ここに従事させられていた人々の証言を知ることが、先の大戦がどういうものだったのか、凝縮されているように思います。国家総動員法の名の下、容赦なく従事させられていたわけで、国家総動員とはこういうことかと実感できました。容赦なく従事させられたのに、戦争が終わると差別されるという不条理。89歳になられた岡田黎子さんが生涯をかけて訴え続けておられる言葉は、一人一人がかみしめなくてはならない言葉だと思います。

sa-saさんへ
K.N
v-42「戦争」程,むごたらしいものはありませんね。最大の人権侵害です。第2次世界大戦により,多くの戦闘員だけでなく,民間人や子どもたちまでも,尊い『いのち』を奪われました。先日,v-55TVで「2.26事件」のドキュメンタリーを見ました。文民統制なのに,この事件を契機に,軍部が暴走を始めたとのこと。「玉音放送」の再現のドキュメンタリーも見ました。どこまでが真実か分からない点もありますが,国家権力が国民の生殺与奪を握っていることは確かです。それだけに,私たちは,選挙で選んだ政治家たちが,みんなの命や幸せのために働いているか,しっかり見ていかなくてはいけないなと思いました。戦争へと転がり始めたら,なかなかストップできませんから。v-404

コメントを閉じる▲